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2009年5月27日 (水)

スター・ウォーズの音楽

 スター・トレックの音楽を書いたのなら、スター・ウォーズの方も書いておくべきかと思ったのだが、1作ずつ書くエネルギーが出てこないので、まとめてしまうことにした。といっても、きわめて個人的な意見なので、そうじゃないだろうという方もいらっしゃるでしょうが、笑ってください。

STAR WARS THE CLONE WARS

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 まずとっかかりにするのは『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』である。
 幾つかのネットの書き込みで音楽への不評があった。ケヴィン・カイナーなんて下っ端に任せたことがそもそも問題という根本的な否定から、いまいちという穏やかな不評まで様々だ。しかし、私はというと逆に高く評価している。それどころか、ようやくこうなったかと遅すぎたと思っているほどだ。そもそも、新3部作の段階でこうなっているべきだったとさえ思っている。

 元々、スペースオペラである『スター・ウォーズ』にハリウッド黄金期のようなフルオケの大仰なスコア、しかもライトモチーフ形式を採用しようと決めたのはジョージ・ルーカスだった。彼の念頭にあったのはSFではなく、活劇――特に海賊映画だった。エロール・フリン主演の『海賊ブラッド』などを参考にしており、その音楽を担当したエーリッヒ・ヴォルフガング・コーンゴルトの音楽などをラッシュに載せてジョン・ウィリアムズに説明した。実際、コーンゴルトの『嵐の青春』のテーマは『スター・ウォーズ』のメインテーマを彷彿とさせる。そして、冒険活劇であったからこそ、オールドスタイルの音楽がフィットしたのだ。決してスペオペであるからクラシカルであったわけではなかった。それを勘違いして、スペオペにはクラシカルなスコアがあうと思いこんではいけない。

クラッシャージョウ<交響組曲/音楽編>

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 例えば国産スペオペ『クラッシャージョウ』のアニメ化ではクラシックっぽい音楽をつけてしまって作品のスピード感を消してしまっている。原作者の高千穂遙はこともあろうに『ベン・ハー』のような音楽を欲していたという。言ってしまえば『ダイ・ハード』に大河ドラマのような音楽をつけるという困った結果になった(決して音楽が嫌いというわけではないし、今でも聴いているので誤解なきよう)。元々、高千穂遙はスペオペの邦訳がなかった頃に故野田昌宏の紹介する文章を読んで、「スペオペってこんな感じ?」という推測で小説第1作を書いたという。で、いざスペオペが翻訳されてくると実際とは違った。『クラッシャージョウ』はアクション主体で、スペオペの多くは冒険物。アクションはあるが、それほどソリッドではない。書かれた時代もあるわけで、ギャップがあるのは当たり前ではあるが。とにかく、アクションシーンでスピード感を出そうと、ストリングスが必死に早弾きして破綻しているのが、聴いていてつらかった(交響組曲はそれがないのでどっしりと聞きやすい)。逆にビートの利いた挿入歌"BLOODBATH HIGHWAY"を使ったシーンは非常にフィットしていたのが印象的だった。
 この作品以外にも世界中で柳の下のドジョウ的スペオペが製作され、音楽も同じようにクラシカルなものがつけられたが、実はシンセを加えたりして『スター・ウォーズ』ほどオールドファッションなものはなかったといっていい。製作者や作曲家はその違いを理解していたのだろう。秀逸だったのはジュブナイルスペオペ『スターファイター』だ。青春物語でもあるため、軽さとスピード感がよく表現された秀作である。

 余談だが、『スター・ウォーズ』においてオールドスタイルが復活したことについては賛否が分かれる。当時の作曲家の発言を探すと、「やっちまった!」という意見が多い。これを理解するにはハリウッドの映画音楽の歴史を振り返らなければならない。
 映画がトーキーになったことで、音楽をつける必要が生じ、大手プロデューサーが当時のヨーロッパで新進気鋭だったクラシック作曲家エーリッヒ・ヴォルフガング・コーンゴルトを招聘した。彼はリヒャルト・ストラウスやグスタフ・マーラーなどに連なる、まさにドイツ後期ロマン派の直系であり、最後の大物だった。目論見通り次々に傑作を書き、ハリウッド映画音楽の基礎を作ることになる。その影響下でミクロス・ローザなどが活躍することになる。しかし、その後の作曲家たちは後期ロマン派的音楽の呪縛から逃れるために努力することになる。なにせ、ヨーロッパからの借り物である。アメリカ的な音楽を模索するうち、アレックス・ノースが『欲望という名の電車』でジャズを持ち込み、オーケストラを使っても後期ロマン派的ではない切り詰めたオーケストレイションなどで徐々に新しいスタイルを作っていった。バーナード・ハーマンなども後期ロマン派の影響から脱しようとして独自のスタイルを構築していった。そして、70年代のジャズ・フュージョンの流行(ラロ・シフリンやロイ・バッドなど)や、アメリカンニューシネマというまた違う流れが出ては廃れ、ジェリー・ゴールドスミスやジョン・ウィリアムズなどという新進気鋭の映画音楽作曲家が登場する。ジョン・ウィリアムズも『大地震』や『タワーリングインフェルノ』、『ジョーズ』などで後期ロマン派の影響のあるメロディを作ってはいたが、ジャズピアニストという経歴もあって、決してそれだけではないアプローチをしていた。しかし、これからまだ発展するかというところで(あるいは行き詰まりという見方をする人もいるが)いきなり『スター・ウォーズ』である。まさにちゃぶ台返し。しかも、ジョン・ウィリアムズ。身内からの裏切り行為にも等しかった。これ以降、ウィリアムズの作風は『スター・ウォーズ』的なものを要求され続けたことで、皮肉なことに後期ロマン派直系の作風へと変化していった。しかし、恐らくそれには満足していなかったのだろう。たまにジャズ的な作品を担当したり、新しいことにもチャレンジしているが、成功というところまではいかなかった。『スター・ウォーズ』を担当していなければ、スピルバーグ作品でもかなり違うアプローチがあったのではないかと思うとなかなか罪作りな結果だった。

 もうひとつ、この『スター・ウォーズ』が生んだ罪はモチーフの多さだ。もっとも、これは勘違いした監督やプロデューサーのせいなのだが、最近の映画音楽はライトモチーフというわけでもないのにやたらとモチーフの数が多い。ジェリー・ゴールドスミスですら監督の要請に応じて『ハムナプトラ』では4つものモチーフを作っている。本人も納得できなかったようで、スティーヴン・ソマーズとはこれ以降仕事をしていない。だいたい、サントラを聴かない一般の映画ファンが一回映画を観て音楽を覚えていられるのはせいぜいふたつのモチーフくらいだろう。劇場を出る時にエンドクレジットで流れたメインテーマを覚えていればいい方だ(それも最近は歌になっているのが多いが)。モチーフを多くすれば豪華だと勘違いしているのだろうが、実際にはモチーフを少なくして場面にあわせてアレンジする方が難しいし、観客に対しては効果的だ。しかし、悲しいことに現実にハリウッドではそういうスタイルは嫌がられ、そういう作曲家は干されている。ヨーロッパでは作品スタイルが異なるため、最近の新人でもモチーフを少なくする作曲家が出てきている。こういう点でも、『スター・ウォーズ』以前に少し戻って欲しいところだ。もっとも、そういうことになると、よくAMAZONのサントラ盤へのレビューにあるような「同じような曲ばっかりでおもしろくない」ということになるわけだが……。

 話を『スター・ウォーズ』に戻そう。
 旧3部作はこのように元々海賊映画だったので、冒険活劇として雄大な音楽がフィットした。これだけではなく、この時代のアクション映画を今観ればテンポが穏やかなのが感じられるだろう。『インディ・ジョーンズ』でさえ緩やかだ。そう、80年代と2000年代の映画において決定的に違うのがテンポだ。特にデジタル化が進み、編集もデジタルで切った貼ったが簡単にできるようになるとさらにテンポが上がり、カット割りは細かくなり、シーンも短くなる。新3部作もその例に漏れない。必然的にモチーフを展開させる時間的余裕がなくなり、観客の耳にも残りにくくなる。最近のハリウッド娯楽映画で音楽が同じような傾向――リズム主体でメロディが記憶に残らなくなっている一因はここにある。メロディを途中で切ると不自然さがはっきりわかるが、リズムだけだとそれほど違和感を感じない。

 そういう早いテンポでライトモチーフを生かすのは困難だ。実際、ウィリアムズは新3部作では積極的にモチーフを使用していない。旧来のモチーフを少しだけ使い、新しいモチーフについてはポイントだけの使用に留め、重要なシーンでもあまりフィルムスコアリングしていない長い曲を流しているだけという個所が見られる。

 そもそも、その役柄を演じる人物が画面に出ているのに、その人物のライトモチーフを流すというのは間の抜けた話だ。観客はそこにその人物がいることなど百も承知しているのだから。やはり力を発揮するのは、アレンジによって心情描写をする時、あるいはその人物がその場にいない時である。最近の例では同じくジョン・ウィリアムズの『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』でヘンリー・ジョーンズの写真が映った時、あるいはラストでインディが父親の話をするシーンにおいて、ヘンリーのモチーフでもある聖杯のモチーフが流れる。モチーフを理解していなくても、何かの雰囲気の差異が感じられるはずだ。

 というわけで、『クローン・ウォーズ』だが、新3部作同様のアクションメイン+申し訳程度のドラマ。このはっきりとしたアプローチに、作曲家を変えて思い切って従来のモチーフを斬り捨てたことで現代的なソリッドなスコアが書けた。まあ、おかげで他のアクション映画との差別化が難しくなると言う面もあるのだが、新3部作の中途半端なギターや打ち込みの導入に煮え切らないものを感じていたために、ようやくここに来たかと感じたのである。残念ながら、ジョン・ウィリアムズの他のジャンルを取り込む手腕はジェリー・ゴールドスミスに劣っていた。無理をした結果なので、これでスター・ウォーズから解放されてよかったと思っている。もう高齢なので、これからは好きなように作曲して欲しい。スピルバーグは映画音楽が映画に与える効果を熟知しているが、ジョージ・ルーカスは疑わしい。新3部作のぶつ切りの編集を見ているとそれは確実だ。できることなら、今後はルーカスと関わらないで欲しい。なんと言っても、ハリウッドで自分のやり方を貫ける最後の作曲家なのだから。

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コメント

コルンゴルトの件は大いに興味ありです。
ハリウッド映画音楽の基礎を作ったコルンゴルトを、この際勉強してみようかと思います。CDが入手可能なのでオーダーしてみます。

ウィリアムズ自身、若き日、MスタイナーやAニューマンの録音に参加したスタジオ・システムを知る最後の世代ですよね。

投稿: 椰子 | 2009年6月 6日 (土) 08:53

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